情報処理学会会誌 1 月号

どうも届いて半月くらい寝かせた後で読むのが習慣化しつつあります.

# 私が書いている部分は,なんとなく思ったことばかりで,ほとんど根拠なしです.

座談会 情報系学長,おおいに語る

学長という視点を持つ方々による座談会(2010 年 8 月)の内容で,ところにより,納得させられたり,ドキッとさせられたりしました.

『このごろの学生,プログラムが書けなくなっていますよね』

○ このごろの学生,プログラムが書けなくなっていますよね.
○ それはよく聞きます.
○ 自分で書かないで,インターネットで探してきますからね.

高機能・高性能なソフトウェアがオープンソース化され,自分で難しいプログラミングをしなくても多種多様なアプリケーションを開発できるようになったことは喜ばしいのですが,こういう話を聞くと,教育の難しさを感じます.

たとえば,ソフトウェアを開発するとなれば,「自分で書かない」というのはとても有力な選択肢です.学習者としては不真面目な選択と捉えられるかもしれませんが,開発者としては最適な選択かもしれません.実際,「適切なソフトウェアを見つけて導入する」能力はとても重要です.華やかな Web 業界も,オープンソース・ソフトウェアとウェブサービスの組み合わせで成り立っています.

現在は「自分で書く」能力と「組み合わせる」能力の両方を兼ね備えた人材が求められているのではないかと思います.

『教育をやらない大学というのはあり得ませんからね』

○ 最近強く思うのは,大学はやはり「教育・研究」という意識で経営していかないといけないだろうということです.資金は研究に付けるのではなくて,教育に付けていくべきです.教育に必要な研究はその予算でやってもいい.それ以上の研究をするのなら,自力でどこからでも取ってこいと,そういう感覚でやっていくしかないだろうと思います.
○ それはなかなか正しい考え方だと思いますね.
○ 研究をやらない大学,産学連携をやらない大学というのはあり得ますが,教育をやらない大学というのはあり得ませんからね.

教育の重要性は誰もが理解しているけれど,どうなれば良いという正解がないこともあり,本当に難しいと思います.自分の知っている範囲では,理想を持っている学生の方が少ないようですし,多くの企業は大学教育の内容をほとんど意識せずに採用をおこなっているようです.

大学への進学率が高いことの弊害という面もありそうです.プログラミングが嫌いだと公言しながら情報系に残っていたり,研究をしたくないのに大学院に進学したり,なかなかに混沌とした状態です.まるで義務教育のごとく,大学が通わなければならない教育機関になっていることは,教育する側にとって実に悩ましい問題だろうと思います.

『未来の社会インフラを考えていける人を育てていかなければならないと思います』

○ いま日本には,社会システムのデザインができる専門家がいない.ひと昔前の公共事業とは違う観点で,情報についての専門性も持ち合わせて,未来の社会インフラを考えていける人を育てていかなければならないと思います.
○ 同感です.たとえば,新幹線を海外に売り込みに行くときに,新幹線の車両や走行スピードの技術を売り込みに行くのではなく,その社会システムとしての優位性を売り込みにいくのだというような姿勢で攻めて行かなければだめです.

これは難しそうです.座学だけでは足りないだろうと思うので,産学官の連携などで養っていくのが理想でしょうか….

特集 未来社会をプロデュースする ICT

今回の特集は「未来社会をプロデュースする ICT」という題目で,いろいろな技術について,「これまで」と「これから」を述べるという内容になっています.

個人的には,クルマのネットワーク化や無線電力伝送のネタに興味を惹かれました.クルマの自動運転や無線給電・エナジーハーベスティングなんかは,物語として描かれる「未来」っぽい雰囲気でワクワクします.